職場と家という概念
職場と家は別々のもの。
職場は、働く場所。
家は、休む場所、家族で生活を営む場所。
職住近接といえども職場と住まいが近いよねっという意味で使われる。
昔は内職をしていた人も、
起業仕立ての人、
いまフリーランスの人もそうだけれど職住一体でもある。
※いまやPCやスマホで家でも仕事ができるので職場と家と分けるのは少し変わってきているのはしっかりと言及しておきたい。
職住一体なので「通勤」という概念がなくなる。
いま、僕は通勤なしで、
日によって家で、カフェで、打ち合わせがあるときはお客様のところで、
お仕事をしている。
最初は通勤もないし、楽でいいなと。
ただ、日が経つと「自分を律する」という難しさがあることに気づく。
会社という組織の一員、職場がもつ力、就業規則、もしかしたら通勤という行為が自分を律するのを助けてくれていたという事実は大きな気づき。
職住一体でも、仕事がくっそ忙しいとやらないといけないので
気合いでなんとなる。
しかし、ちょっとゆったりでも大丈夫というときは弛んでしまう。
人は一人では生きていけないとこういう部分で痛感をしました。
「場」のもつ力は結構バカにはできない。
人はそれぞれの場や机やものに無意識のうちにアンカリングをして、
モードを切り替えている。
だからこそ、どんなにいけてないオフィスでも仕事はちゃんとするし、
たまにカフェで仕事をすると捗るし(はかどりモード)、
家で仕事をしようとするとだらけちゃうこともある。
自分のスペース以外で仕事をするというのは、
自分がやることを狭めることで集中をしているのかもしれない。
(家だと掃除したくなったり、整理整頓したんくなったりするので)
働き方が注目されて、
どこでもいつでも働けるぜ!!っていうけれども、
場の力であったり、会社という組織の見えない力が無視されているし、
いつでも働けるは、いつでも働かなくていいということでもある。
こういった場所であったり自律の仕組みであったりは一緒に考えていく必要がありますね。